Ken Loach: ‘If you’re not angry, what kind of person are you?’
(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑥からの続き
最近放送されたテレビドキュメンタリー<Versus: The Life And Films Of Ken Loach>(「VS:ケン・ローチの人生と映画」)では、ローチは軽やかで好ましい映画作家として登場するが、それは彼を裏切った者たちについて話し始めるまでの間のことだ。スクリーン上で、彼がスタッフォード=クラークを臆病者と呼び、獰猛なまでに攻撃する様は衝撃的だ。
「敵を作るのは怖くないのですね?」私は尋ねた。「状況によります」彼は答えた。「私の母は仲裁者的な人でした。個人的な場面では、私もそうするようにしています。だって個人同士の諍いはどうしようもないですからね。こわいじゃないですか。」ローチとレスリーには4人の存命の子供がいるが、その内の2人―ジムとエマ―もまた映画製作者だ。「私は自分が信じ、頼っている人や気にかけている人、大切にしている人と言い争ったりはできません。それをやったら代償は計りしれませんから。でもそこから一歩外へ出て世の中と向き合ったら、『かかって来い!』です」
私は初めの質問をもう一度繰り返す:公の場や政治の場で敵を作ることは怖くはないのだろうか?「怖くはありません。彼らは敵ですから。80年代にああいった映画を作ったとき、右派労組メンバーや右派労働党エリート組や彼らに同調した人たちは私のやってきたことをぶち壊そうと躍起になっていました。彼らは私のやってきたことを破壊したのです。」
彼は自分のことを執念深すぎると感じはしないだろうか?「いいえ、はっきりしておかなければいけませんが、これは個人間での問題ではないからです。そうではない状況で、結果を恐れるあまり、わざと何かを妨害する人がいたら、許してはならないのです。特に私たちの業界では。政治家だったら、より大きな利益を確保するために一歩引き下がらなければならないと思うこともあるでしょう。それは戦術の問題です。でも、映画製作者やジャーナリストといった人たちの役割は物事の根底にある考えや本質は何かということを伝えることです。そして、その役割でこそ評価されなければならないのです。それが、マックス・スタッフォード=クラークが抹殺した演劇の核心であり、労働党エリート族右翼が検閲したドキュメンタリーの核心だったのです。」
彼はもうこれで自分のキャリアは終わりだと思ったことはあるのだろうか?「はい。80年代の終わりには、もう法律の世界に戻ろうかと考え始めていました。何の資格もなく、学士の成績もとても悪かったのに。ただどうしたら良いかわからなかったのです。映画製作を教える位しか思いつきませんけどね。借金しなければなりませんでしたし、殆どその日暮らしに近い状態でした。」彼はそこで少し黙ってから、申し訳なさそうに言った。「ああでも、私たちのは中産階級の貧困です!私たちにはそれでもまだ一軒家がありました。でもどこでどうやっていけばよいのかわからなかったのです。」
(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑧へ続く
※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone
*留意点*
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- 映画等作品名表記について:日本劇場公開作は『』で表記、未公開作は原題を<>で、(DVD等)邦題があるものについては邦題を『』で、ないものは日本語訳を「」で併記しています。
- 「※」付きの説明は訳者註です。
- 文中のリンクは「※」付き以外は全て元記事と同じリンクです。
※Versus: The Life and Films of Ken Loach - Official Trailer
「敵を作るのは怖くないのですね?」私は尋ねた。「状況によります」彼は答えた。「私の母は仲裁者的な人でした。個人的な場面では、私もそうするようにしています。だって個人同士の諍いはどうしようもないですからね。こわいじゃないですか。」ローチとレスリーには4人の存命の子供がいるが、その内の2人―ジムとエマ―もまた映画製作者だ。「私は自分が信じ、頼っている人や気にかけている人、大切にしている人と言い争ったりはできません。それをやったら代償は計りしれませんから。でもそこから一歩外へ出て世の中と向き合ったら、『かかって来い!』です」
私は初めの質問をもう一度繰り返す:公の場や政治の場で敵を作ることは怖くはないのだろうか?「怖くはありません。彼らは敵ですから。80年代にああいった映画を作ったとき、右派労組メンバーや右派労働党エリート組や彼らに同調した人たちは私のやってきたことをぶち壊そうと躍起になっていました。彼らは私のやってきたことを破壊したのです。」
彼は自分のことを執念深すぎると感じはしないだろうか?「いいえ、はっきりしておかなければいけませんが、これは個人間での問題ではないからです。そうではない状況で、結果を恐れるあまり、わざと何かを妨害する人がいたら、許してはならないのです。特に私たちの業界では。政治家だったら、より大きな利益を確保するために一歩引き下がらなければならないと思うこともあるでしょう。それは戦術の問題です。でも、映画製作者やジャーナリストといった人たちの役割は物事の根底にある考えや本質は何かということを伝えることです。そして、その役割でこそ評価されなければならないのです。それが、マックス・スタッフォード=クラークが抹殺した演劇の核心であり、労働党エリート族右翼が検閲したドキュメンタリーの核心だったのです。」
彼はもうこれで自分のキャリアは終わりだと思ったことはあるのだろうか?「はい。80年代の終わりには、もう法律の世界に戻ろうかと考え始めていました。何の資格もなく、学士の成績もとても悪かったのに。ただどうしたら良いかわからなかったのです。映画製作を教える位しか思いつきませんけどね。借金しなければなりませんでしたし、殆どその日暮らしに近い状態でした。」彼はそこで少し黙ってから、申し訳なさそうに言った。「ああでも、私たちのは中産階級の貧困です!私たちにはそれでもまだ一軒家がありました。でもどこでどうやっていけばよいのかわからなかったのです。」
※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone