(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑥/10

Ken Loach: ‘If you’re not angry, what kind of person are you?’

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(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑤からの続き
しかし1971年にローチの世界は崩壊する。彼は車で高速道路M1の外側車線を走っていたが、その時、内側車線を走っていた車のタイヤが脱輪、ローチの車に衝突し、車は橋脚に打ちつけられた。彼の5歳の息子ニコラスとレスリーの祖母が亡くなった。そしてレスリーも生死の境をさまよった。ローチは1年以上仕事に復帰できなかった。「子供を失ったのです、個人としての全てを・・・喪失以外の何も自分の中にないのです。ですから、ただ悲しむ以外のことをする感情的な余裕や強さはありません。長い時間がかかるのです。」

この事を語る時、彼の言葉はぼそぼそと途切れがちになる。ローチは「息子」や「子供」という言い方はするが、名前を出すのは避けがちだ。名前を言うのは辛いのだろうか?「そうですね、いつも、ええ・・・ニコラス。」あまりにもさっと短く息子の名前を言うので、あやうく聞き逃すところだった。「だって傷はあまりにも深いのです。それも問題の一部だと思います。私たちはまだちゃんと悲しみぬいて解決策を得られていないのかもしれません。今は、悲しみをちゃんと表現して折り合いをつけられるようにする方法があると思います。当時は、自分以外の人たちの状況に対してはうまく対処するようにしていたのに、自分達に対しては何もできなかったのです。どこかで、ちゃんと向き合わなければということは分かっていたのですが、悲しみが大き過ぎて私たちにはそれが出来なかったのです。」

復帰作となったのは、チェーホフの短編小説『不幸』のテレビドラマ化というローチらしからぬ仕事だった。その後、第一次世界大戦から1926年の全国ストまでの時代を描いた壮大なテレビシリーズ<Days of Hope>(「希望の日々」)、炭鉱災害についての<The Price of Coal>(「石炭の値段」)と作り続けたが、映画作家としてはもがき苦しんだ。彼の最も熱烈なファンであろうと1981年の『まなざしと微笑み』は痛々しいほどにみじめだと思ったし、ローチ自身も80年代のもう一作『祖国』では大へまをやらかしてしまったと言っている。

自信喪失だけではなく、他にも問題はあった:ローチは干されたのだ。1983年には労働者に対する労組幹部の裏切りに疑問を投げかけたシリーズ<Questions Of Leadership>(「リーダーシップへの問い」)を作ったが、制作を依頼していたチャンネル4が、「バランスを欠く」として放送を拒否したのだ。1984年制作の<Which Side Are You On?>(「君はどちら側にいるんだ?」)はストを決行する炭鉱労働者の歌と詩についての映画で、メルヴィン・ブラッグの「サウス・バンク・ショー」の為に作られたが、政治的過ぎるという理由でロンドン・ウィークエンド・テレビはこれをお蔵入りにした。1987年にはシオニストの指導者とナチスの疑わしい協力関係を考察したジム・アレンの舞台<Perdition>(「堕地獄」)の演出を手掛けたが、ロイヤル・コート・シアターの芸術監督マックス・スタッフォード=クラークによって初演の僅か36時間前にキャンセルされた。80年代末頃までには、ローチには発表する場はおろか、制作の依頼さえ一切なくなった。そして、いまや末代の恥となったが、マクドナルドのコマーシャルを作ってしまったのだ。

(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑦へ続く

※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone

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