- 初めてこのブログを読まれる方は↑TOPメニューの「¿(仮訳)?」も併せてお読みください。
- 映画等作品名表記について:日本劇場公開作は『』で表記、未公開作は原題を<>で、(DVD等)邦題があるものについては邦題を『』で、ないものは日本語訳を「」で併記しています。
- 「※」付きの説明は訳者註です。
- 文中のリンクは「※」付き以外は全て元記事と同じリンクです。
私は最近ローチの1969年のテレビ映画<The Big Flame>(「大きな炎」)を観た。それは1万人のリバプールの港湾労働者がワーク・イン(※工場などを占拠した労働者が自主管理して作業をする抗議行動)を計画する話だ。映画では、1人の港湾労働者が「ジョー・ヒル」という歌をギターでかき鳴らし、別の労働者が、ヒルはこの有名な言葉を、殺人犯にでっち上げられ銃殺刑執行隊と対峙したときに言ったのだと説明していた。ローチは、今日では、実際多くの労働者が実質的に個人事業主になってしまい団体に属していないので、団結や組織化への闘いはますます厳しくなっていると主張する。そしてまた、私に向かってヒルの言葉を引用するのだ。
批評家はローチの弱点は彼の不変性にあるという:彼は今も半世紀前と同じようにマルクス主義の説教を唱えている。彼のファンはそれこそが彼の強みだと主張する。ローチ自身は、もう80歳にはとてもみえないが、世の中のシステムが変わっていないのに、一体なぜ自分が変わる必要があるのだと訊き返すだろう。
しかし、ローチはいつも左派だったわけではない―それどころか全く正反対だったのだ。学校の模擬選挙では保守党代表を務めた。「別に大した話ではありませんけどね」彼は言った。私は、彼があまのじゃくでわざとそうしたのか、それとも単なる十代にありがちな気まぐれの思い付きだったのではと思ったが、違った。それが彼の育ってきた環境での価値観だったのだと彼は言う。ローチの父親は電気技師でナニートンの工場で現場監督になった人物だ。古典的労働者階級の保守党支持者だったとローチは言う。彼の母親は美容師だった。ローチの父親は、管理スタッフに加わりマネージャーになってほしいと頼まれた時、それを断った。なぜなら、管理職になったら、茶色い封筒に入った現金での週払い制ではなく、銀行振り込みの月給制になってしまうからだ。(彼は借金やツケ払いという概念を嫌っていて、いつも現金払いしたいと思っていた。)彼は利口で抜け目のない人物で、グラマースクール(※中等教育の選抜式進学校)の入試に合格したが、母親が学校の制服を買う経済的余裕がなかったため入学しなかった。偉大な法廷弁護士についての本を沢山読み、自分の息子が法律の道に進んでくれることを夢見ていた。
※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone
