Ken Loach: ‘If you’re not angry, what kind of person are you?’
(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」③からの続き
ケネス(※「ケン」は「ケネス」の愛称)少年は賢く野心家だった。彼はグラマースクールへ入学し(今のローチはこの教育形態を軽蔑している。一握りの労働者階級の子供たちを「成功」のために、元の生活環境から引き抜き、それ以外の子供達を見捨てて敗者にしてしまうやり方だという理由で)そこで彼は貪欲に学んだ。消灯時間になっても、布団の中でこっそりシェイクスピアを読んだ。ローチ家は右派の新聞『デイリー・エクスプレス』を購読していた。ローチはそれを隅々まで読んでいたが、その価値観に疑問を持つことなどなかった。当時の彼にとっては、それは単に世の中の反映に過ぎなかった。「私はサッカーチームを応援するみたいに保守党を応援していたのです。」恥ずかしそうに彼は言った。それはどれ位続いたのだろう?「多分19歳の時までです。空軍に入隊した頃まで。」
空軍除隊後、彼は法律を学ぶためオックスフォード大学に入学した。大学では演劇部で熱心に活動するようになり、ダドリー・ムーアと共に寸劇を演じたり、演出もするようになった。学業の方はおろそかになり、(※4段階評価中)3の成績で卒業し、演劇の世界で生きて行こうと決意した。父親は打ちのめされた。
ローチはいつも演技をしたいと思っていた。「15の時から演技に取りつかれていたのです。」誰かお手本になる人はいたのだろうか?「マリウス・ゴーリングという昔の俳優がリチャード三世を演じるのを観て、これは最高だ!と思ったのを覚えています。だから自分が演じる時に何らかの影響はあったでしょうね。」ローチ青年は良い役者だったのだろうか?彼はくすりと笑い「そう言うにはちょっと無理がありますね。でもまあなんとかうまくやり切りました」と言った。今でも、本当は自分は俳優として十分競えたと思っているような気配を漂わせつつ。彼の妻のレスリーは、普段は夫に対しこの上なく誠実なのだが、彼がどうしようもない大根役者で、自分の映画には絶対に起用しないタイプだと私に教えてくれた。これに対して何か反論は?「もちろんその通りです。でもわかりませんよ!」
彼はノーザンプトン・レパートリー劇場の助監督の仕事を得た。「1~2役なら演じられるんじゃないかと思っていたのですが、明らかに、演出家は私を役者として全く信頼していませんでした。パントマイムの役ですら貰えませんでした。それで演出に専念した方が良さそうだなと思ったのです。」
1963年に彼はBBCに移り演出見習いとなる。ほどなく、警察ドラマ<Z-Cars>(「パトカー/警察車両」)を演出する。そこで、彼は若き社会主義作家の面々に出会う。それは、トロイ・ケネディー・マーティン、ロジャー・スミス、ネル・ダン、バリー・ハインズ、ジェレミー・サンドフォードといった面子で、自分達の傑作でローチを育て、彼を政治的にしていったのだ。
ローチは彼の進化した政治信条について父親と議論したのだろうか?「していません。彼は自分の息子が自分に挑戦してくるなんていう発想を好みませんでしたから。私が何について話しているのか自分でも分かってないと彼は思っていたみたいです。自分が何について話しているのかを知るには、父のような人たちと同じ場所で働き、父が付き合っていたような人たちと付き合い、日の当たらない場所で生きる厳しさに直面しなければなりません。」
(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑤へ続く
※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone
*留意点*
- 初めてこのブログを読まれる方は↑TOPメニューの「¿(仮訳)?」も併せてお読みください。
- 映画等作品名表記について:日本劇場公開作は『』で表記、未公開作は原題を<>で、(DVD等)邦題があるものについては邦題を『』で、ないものは日本語訳を「」で併記しています。
- 「※」付きの説明は訳者註です。
- 文中のリンクは「※」付き以外は全て元記事と同じリンクです。
空軍除隊後、彼は法律を学ぶためオックスフォード大学に入学した。大学では演劇部で熱心に活動するようになり、ダドリー・ムーアと共に寸劇を演じたり、演出もするようになった。学業の方はおろそかになり、(※4段階評価中)3の成績で卒業し、演劇の世界で生きて行こうと決意した。父親は打ちのめされた。
ローチはいつも演技をしたいと思っていた。「15の時から演技に取りつかれていたのです。」誰かお手本になる人はいたのだろうか?「マリウス・ゴーリングという昔の俳優がリチャード三世を演じるのを観て、これは最高だ!と思ったのを覚えています。だから自分が演じる時に何らかの影響はあったでしょうね。」ローチ青年は良い役者だったのだろうか?彼はくすりと笑い「そう言うにはちょっと無理がありますね。でもまあなんとかうまくやり切りました」と言った。今でも、本当は自分は俳優として十分競えたと思っているような気配を漂わせつつ。彼の妻のレスリーは、普段は夫に対しこの上なく誠実なのだが、彼がどうしようもない大根役者で、自分の映画には絶対に起用しないタイプだと私に教えてくれた。これに対して何か反論は?「もちろんその通りです。でもわかりませんよ!」
彼はノーザンプトン・レパートリー劇場の助監督の仕事を得た。「1~2役なら演じられるんじゃないかと思っていたのですが、明らかに、演出家は私を役者として全く信頼していませんでした。パントマイムの役ですら貰えませんでした。それで演出に専念した方が良さそうだなと思ったのです。」
1963年に彼はBBCに移り演出見習いとなる。ほどなく、警察ドラマ<Z-Cars>(「パトカー/警察車両」)を演出する。そこで、彼は若き社会主義作家の面々に出会う。それは、トロイ・ケネディー・マーティン、ロジャー・スミス、ネル・ダン、バリー・ハインズ、ジェレミー・サンドフォードといった面子で、自分達の傑作でローチを育て、彼を政治的にしていったのだ。
ローチは彼の進化した政治信条について父親と議論したのだろうか?「していません。彼は自分の息子が自分に挑戦してくるなんていう発想を好みませんでしたから。私が何について話しているのか自分でも分かってないと彼は思っていたみたいです。自分が何について話しているのかを知るには、父のような人たちと同じ場所で働き、父が付き合っていたような人たちと付き合い、日の当たらない場所で生きる厳しさに直面しなければなりません。」
※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone