(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑤/10

Ken Loach: ‘If you’re not angry, what kind of person are you?’

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(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」④からの続き
息子の功績を誇りに思っているのは母親か父親かどちらだろう?「2人共誇りに思ってくれていたと思います。父親は誉めたりはしませんが、何があったかは分かっていて認めてくれてはいました。父はウエスト・ミッドランズの労働者なんですよ。とても寡黙なんです。1950年代に大都会風のハグなんて誰もやってなかったんですよ。言っておきますけど!」

<Z-Cars>での彼の業績は、(警察が偏見によって不正を働いたり、それどころか汚職に手を染めることすらありうるという解釈の)新しいダーティー・リアリズムとして賞賛されたにも拘わらず、ローチはまだリアリティーが足りないと感じていた。それで彼は最初の原則に立ち返り、彼が最も崇拝していた映画、すなわちチェコ・ヌーヴェルヴァーグとイタリア・ネオレアリズモを分析した。「これらの映画では、登場人物はただ存在するのです。演技をしているのではなく。一方、私がやっていたことは、自分が本物だと思っていない演技をつける、ということでした。自分の失敗から学びました。」

彼は自分の作品を解体して、再構築した。拝借したテクニック(可能な限り自然光を使い、素人とプロの俳優を一緒に起用すること)もあるが、新しく彼自身が編み出したもの (時系列順に撮影する、リアルな反応を引き出すために、役者にはあらすじを少しずつ渡す、即興と細かく脚本通りに描かれた場面を組み合わせること) もある。恐らく、このリアリズムの度合いこそが、彼の映画を何より際立たせているのだろう。キャロル・ホワイトが見事に演じたキャシーは、自分の子供が連れ去られた時ショックを受けているように見えるが、それは実際に俳優がショックを受けていたからであり、同様に『ケス』では、少年は実際に手を鞭打ちされていたのだ。

※『ケス』手を鞭打ちされるシーン

60年代中盤から終わりにかけて、あらゆるローチ作品のテーマはニュースの大見出しとなり、議論を巻き起こした。ローチの映画が他と違って見えたとか違った感じを与えたというだけの話ではない、主題そのものも過激だったのだ。<Up The Junction>(「アップ・ザ・ジャンクション」※ネル・ダン作の同名の短編集が原作で、1968年には別監督で映画化もされている。題名は、イギリス英語で「行き詰まった/お手上げ」を意味することと、物語の舞台がClapham Junction駅周辺であることによる掛詞とのこと)では違法中絶、<The Big Flame>では労働者の権利、<Three Clear Sundays>(「日曜3回」※当時のイギリスの死刑制度では死刑判決から執行までに日曜を3回挟まねばならないとされていたことに因む)では死刑制が論題となった。この傾向は『ケス』で最高潮に達する。バリー・ハインズの小説を元にしたこの物語では労働者階級の少年がケストレル(※チョウゲンボウ:小型の鷹の一種)への愛によって心を開いていく。ローチの映画はひどく心をかきむしるものでありながらそれと同じくらい感傷的でなく、美しさと同じくらいの残酷さがある。そしてまた、映画史上最も可笑しいサッカーシーンの1つもみせてくれている。それは、ボビー・チャールトンのユニフォームを着たブライアン・グローヴァー演じる体育教師が、ありもしないPKを主張するシーンだ。

※『ケス』サッカーのシーン

(仮訳)ケン・ローチ:「もし怒りを感じていないとしたら、あなたは一体どんな類の人間なんですか?」⑥へ続く

※元記事:
https://www.theguardian.com/film/2016/oct/15/ken-laoch-film-i-daniel-blake-kes-cathy-come-home-interview-simon-hattenstone

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